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慰問袋

 一昨日の写真と同じ場所で撮った同じ頃の風景です。祖父は本郷区
根津宮永町の町会長を長く勤めていましたが、住んでいるのはb-g
の下谷区谷中清水町。道隔てての区違いなので、b-gの家が町会の
事務所的なことをしておりました。
 町会で集めるこの慰問袋も、我が家の前で受付していたと思います。
袋を持ってる子供がb-g。帽子を被った町会の「小使いさん」と祖父
が一緒に記念写真に写っています。
 慰問袋は戦争中、当時は「支那事変」と呼ばれていた日中戦争に出征
した兵隊さんに送るべく、木綿の袋に慰問の品々を一家当たり一袋ずつ
割り当てられ、町会単位でまとめました。もう生活物資が乏しくなって
来た頃で、苦労して中身に何を詰めたのか思い出せませんが、遠く離れた
内地から送られた品を受け取った戦地の兵士たちは、日本の懐かしい匂い
に接して喜んだことでしょうね。
 手紙も書いて一緒に入れました。何ヶ月か後に戦地の兵士から礼状が
届いた話も聞きましたが、本来は国がやる仕事ですよね。戦争を国民と
共に戦う挙国一致の思想であって、戦地に対して銃後という言葉があり
ましたね。兵隊は外地で戦い、銃後の国民も何らかの形で戦争に協力した
わけです。でも、この頃はまだ平和でしたが、数年後には東京も戦場に
なり、毎晩のB29の空襲でいつ死ぬのかと怯えました。
 もう一枚の写真は松本の孫たちへの慰問ダンボールです。中身は菓子、
タオル、入浴剤、ラップ、ドリンクの景品など家で余っているものが殆どで、
ブーニンのCDも入れてコンビニから明日の夜着指定で発送。平和な時代
はいいですね。


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