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町田さん

 b-gの生地は谷中清水町、今では池之端4丁目なんですが、池之端より
やはり谷中の方が地形的に相応しいね。以前の池之端七軒町は不忍池に
近いし、清水町は上野の台地に沿った坂のある町だから。
 坂は三段坂と言って、文字通り緩い三段になり、大河内さんのお屋敷
始め大きな家が並んでいました。一段目の平らなところに桐箱職人の町田
さんの兄弟が住んでいました。兄さんの家は表通りに面して、細い縦格子
ガラス戸の風格ある木造でしたが、既に取り壊されて新しい家に変わり、
隣の蔦のからまる二階建てが弟さんの家です。昨日、出身校の上野高校
の校舎を眺めて、ここへ降りてきたら懐かしい家が、まだ残っていました。
こんな風情が谷中の原点です。
 すでに町田さんは高齢で亡くなっていると思っていたら、なんと自転車
を出して出かけるところでした。アインシュタインのような風貌の町田さん
は93歳、b-gを覚えていてくれました。b-gが芸大を受験する際にたいへん
お世話になった恩人です。
 当時芸大の倉庫のようなところにベニヤで仕切って何人もの学生が住ん
でいたんです。その中の一人の池田さんという先輩を紹介してくれました。
試験まで後4ヶ月くらいと言う切羽詰まったときで、どこの予備校も行か
なかったb-gを、町田さんが心配してくれたのです。仕事の関係で昔から
美術学校に出入りしていたので、池田さんを知っていたのでしょう。
 池田さんは厳しい人で、作品持って始めて会ったとたんに「駄目だね、
これじゃとても入れない。」と太鼓判を押されてしまいました。それから
課題を出して貰い、美校の倉庫に毎晩懸命に通いましたよ。そして試験
の発表の日の朝、b-gの家に町田さんが息せき切って「合格したよッ」と
一番に報告を届けにきてくれたのを、よく憶えています。
 ちょっとあった自信と、競争倍率からみて、とても無理だと言う思いが
交錯していたので、とたんに血が頭に昇りもの凄い頭痛になってしまった
ものでした。たしかb-gはすぐ見に行けず、兄が行ってくれたはずです。
 そんな思い出のある町田さんとしばらく話をしてから、生まれたあたり
の古い町中を歩き、スナップしながら帰りました。


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