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うえの落語
11時から京橋M社でキャラメルの打ち合わせ。はるか以前に
デザインしたキャラメルの復刻版の依頼。キャラメルの昔話を
覚えている人が少なくなりb−gが生き字引。
午後から上野中央通り商店街主催の第2回「うえの落語」を
鈴本演芸場でm−kと聞く。去年と同じく「目黒のさんま」の
向うを張って「ねぎまの殿様」林家正蔵のまじめな口演。昨年
同じ演目を語ったハチャメチャな金馬師匠と異なり、演者の
比較が面白い。その他力士上がりの三遊亭歌武蔵の「支度部屋
外伝」、入舟亭扇遊「崇徳院」紙切りの林家正楽ほか。
去年の倍率は2倍、それが今年は10倍の競争率。うえの落語
が定着したのか、正蔵の写真で応募して来たのか? ポスター
とチラシはb−gのデザインです。
デザインと言えば、昨日から上野辺りにb−gが描いたパンダ
ペナントがあちこちに掛かっています。一年振りに作り替えま
した。上野に行った際に見てください。
終演後打ち上げに招かれ、隣の寿司屋で紙切りの正楽師匠を
交えてご馳走になる。事務所に着いたのは5時半。Mac Airが
直ってきた。ハードディスク交換して修理費35000円。
霜柱
閑居
寒いせいで一日どこへも出ず、先日買ったウインドウズ7の
セッティングのコンピュータいじり。テレビをつなげ、ホーム
ページ・ビルダー16を触ってみるなどなど。
家のところどころに小さな人形をm−kが飾っています。以前
旅行した時のお土産で、ベネチアのガラス細工とトルコのコンヤ
という町で買った踊る宗教メヴラーナのプラスティック人形と、
これを絵葉書にして「ふうふ展」に出したもの。
戦後日本でも踊る宗教が一時流行りましたが、メヴラーナは13
世紀トルコの神秘主義的哲学者で、彼の広めたイスラム神秘主義
教団の指導者でした。かれはこの世に存在するものは地球も生命も
みな無限に循環すると唱え、精神を無にして回り続けることで、
神との一体化を求め、音楽とダンスで旋回し続ける儀式なのです。
1999年に行ったトルコ旅行でコンヤのメヴラーナ博物館で遺品
や実物大の人形などが見て来ました。

公開録画
日本テレビの人気番組「笑点」公開録画にネットから応募
したら、当たってm−kと今年一番の寒さの中、後楽園ホール
に行って来ました。早めに出て入場一時間前に着きましたが、
さすが人気番組ですね長蛇の列です。
ここでは普段は拳闘とかプロレスをやるホールのようです。
壁が隅から隅までいたずら書きでびっしり埋まった階段を5階
まで上り、公開録音はこんなところでするんだと思うような
場所でした。
編集されたテレビで見るよりずっとくだけた雰囲気で収録、
随分カットされるんでしょうね。涙が出るほど爆笑のうちに
二回分終了。2月5日と12日の日曜日に放送されます。
後楽園内で出演の三遊亭小遊三師匠の隣席で遅い昼食、家
に着く前に妹をケアハウスに見舞う。
エレベータボタン
エレベータに乗るとすぐに「閉」ボタンを押す人がいる。中
には何度も押すせっかちな人も見かけますね。b−gは閉まる
までの1〜2秒を心のゆとりと心得て、滅多に押さないのが常。
以前、自動的に閉まる前に「閉」ボタンを押すと電力を食うと
いわれたが、そんなことはないらしい。
数日前のテレビで知ったのですが、イギリスのエレベータに
「閉」ボタンがないらしい。ついでに調べたらドイツにもない
ようで、エレベータの乗降人数が多くなり、閉まる設定時間が
長くなったため、「閉」ボタンはオプションで付けるそうです。
閉まる寸前に乗ろうとする人が見えて、慌ててボタンを押し
開こうとしたら、それが「開」でなく「閉」を押してしまった
ということありませんか。b−gはしょっちゅうです。規格で
決まっている訳ではないが、左が「開」右が「閉」だそうで
文字が似ているから間違え易いし、マークの場合もどっち?
と急の選択に迷うことがしばしばです。
東京の気温が氷点下1℃を記録する寒さ。三日月と宵の明星
が築地の夜空に光り、白山通りの広告看板も中空に冷たく輝き
寒さに手がかじかんでしまいました。
朝のうちに経理事務所に寄り、所長Tさんのご長男の結婚祝
を届ける。今日は大安。あんみつのみはしS社長見え手提げ袋
デザインの打ち合わせ。
転倒
残雪
防寒対策
子供の頃は今よりずっと寒かった。当時家の二階に住み
床の間のある6畳は障子一枚で廊下につながり、その外は
ガラス戸もなくて、夜は板の雨戸を引くだけでした。
寝る際は湯たんぽや豆炭こたつが唯一の暖房で、夜具は
毛布とかいまき、上に布団を掛けるので重いものでした。
朝はとても寒くて起きられず、布団にもぐって着替えを
いていると、海軍経験のある父親にガバッとはがされて
しまうのです。きびしい反面とても優しい父でしたが…。
戦争中なのに英語の「コンビネーション」という肌着と
ズボン下がつながった暖かい下着があり、その下に猿股を
はくと、便所でいちいち脱いでお尻を出すのに苦労した、
なんていうことは今の人には理解できないですよね。
母親の編んだ毛糸の手袋は毛糸の紐でつないで、なくさ
ないように用心しました。いくら防寒しても手足にひびや
あかぎれ、しもやけが日常的にでき、あかぎれの割れ目に
黒い軟膏を火鉢で暖めた火箸で柔らかくしながら埋める
治療は痛かった。ひび割れは栄養が足りなかったからかも。
昨夜は6年振りに雪が4㎝降りましたが、昭和10年代は
もっと雪が多かったし、防火用水の水がカチンカチンに
凍ってしまい、空襲に備えてそれを砕くのが朝の子供の
仕事です。
写真は今朝の玄関先。木々には氷の花が咲き、植木が
雪のシャーベットに埋まっていました。
龍の開眼供養
仕事コーナー
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